日光東照宮 最新情報

 現在、富山県の滑川市立図書館3階催事場で「市制60周年記念 長谷川喜十郎とその弟子たち展」(平成26118日~39日)が開催されていますが、同展覧会に向けての共同調査によって、日光東照宮宝物館蔵の「境内模型」が長谷川喜十郎の作品であることが判明しました。

 長谷川喜十郎は滑川市出身の彫刻師で、生涯に3組(4作目は未完)の日光東照宮模型を製作したことから、「大正の左甚五郎」と呼ばれています。

 当宮宝物館が所蔵するのは、大正3年に作られた2作目の作品で、その製作の経緯は以下の通りです。

 大正373日、内務省より当宮宛てにサンフランシスコ万国博覧会への協力要請の電報が届きました。サンフランシスコ万博は、パナマ運河開通と太平洋発見400周年を記念して、1915220日から124日まで開催された博覧会です。

 7月中にすぐさま日光山内で模型製作が始められました。その際に、製作の中心的な役割を担ったのが長谷川喜十郎であることが、長谷川家の資料によって判明したのです。

 境内模型完成の日付は定かでありませんが、完成後の118日から10日まで、模型は山内の陳列所にて一般公開されました。その後、模型はサンフランシスコ万博へと送られます。

 大正536日、模型が日光へ返還され、13日に東照宮の貴賓館(現「朝陽閣」か)に陳列されました。

 大正11年、東照宮は東京の印刷会社に絵ハガキ・写真帳の製作を依頼し、印刷上の材料(色見本か)として、916日に陽明門の模型を同社に貸し出します。そして、陽明門模型が東京にあった大正1291日に関東大震災が発生し、陽明門模型は焼失してしまうのです。

 その後、大正1448日、東照宮は陽明門を欠いた状態で全模型を東京帝国大学に寄贈しました。発送されたのは514日です。

 寄贈を受けた東京帝国大学では、同年、小西重太郎(東照宮修復に携わる小西美術工芸社)・人見城民(日光堆朱の名人)に陽明門模型製作を依頼し、1522日に納品されました。

 昭和35年、東京大学より東照宮に対し、模型返還の申し入れがあり、東照宮は3614日付で無償譲渡の申請をしました。ところが、その後、東京大学側が特定宗教法人への無償譲渡にためらいを見せたため、同年830日、有償での払い下げ契約を結び、正式に東照宮の所有となりました。

 昭和43年に現東照宮宝物館が建設されてからは、模型は同館3号室に展示されて、現在に至っています。

 当宮の境内模型は従来、製作者と制作年代が共に不明とされてきましたが、この度の調査により、長谷川喜十郎・小西重太郎・人見城民といった名人の作品であることが判明し、大変喜ばしく思っています。

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      展覧会チラシ             東照宮境内模型

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